対数の発見

1554年 対数の概念 (シュチーフェル)

計算尺はlog(f(x))の式に合わせてメモリを振ったものですので、計算尺の発明に対数の発見は欠かすことはできません。

一番初めに対数の概念を考えたのはイタリアのミハイル・シュチーフェル(Michael Stifel, 1486-1567)です。

シュチーフェルは彼の著書「完全算術」の中で、「算術級数間の加法が幾何級数間の乗法に対応し、同様に、前者の減法が後者の除法に対応する」という記述をしています。「加法が乗法に対応し、減法が除法に対応する」というこれは現在の対数の概念に相当します。

しかし、残念なことに、シュチーフェル自身はさらに対数の理論を展開することはありませんでした。今後ますます対数が重要な数学の一分野になり、工学的にも有用になるともし彼が予想してさらに研究を進めていたら、対数の発見は彼によるものとなっていたでしょう。実際には次に挙げるネイピアが対数の発見者として伝えられています。

1614年 ネイピアによる対数の発見

一般的に、対数の発見はスコットランドの貴族であったジョン・ネイピア(John Napier 1550-1617)によるものだといわれています。ネイピアはシュチーフェルの功績については知らなかったようで、全く独立して対数を発見したことになります。

ただ、ネイピアが考え出した対数は、現在使われている対数とは異なるものでした。このことはWikipediaジョン・ネイピアに詳しいことが書かれているのでご覧ください。10を底とする対数の発見は後述するブリッグスによるものと言われています。

ネイピアは煩雑な計算を簡略化するために、対数を用いようと、対数表の製作にも携わっています。ネイピアの「不思議なる対数規則の記述」自体は1614年で、一般的にネイピアが対数を発見したのはこの年だと言われていますが、それよりも数十年前から対数表を作成する作業を行っていたようです。実際、1594年にはデンマークの天文学者ティコ・ブラーに、ネイピア自身が作成した対数表の一部を見せながら、対数についての考えを話したという記録があります。このことから分かるように、既に1594年の時点ではネイピアは対数の研究を始めていたのです。

現在、自然対数の底e=2.718281828…は「Napier's constant」「ネイピアの数」「ネピア数」などと言われていますが、これはネイピアにちなんだものです。しかし、彼自身が常用対数の底を発見したわけではありません。彼の業績を称えて名付けられたのでしょう。

対数の発見はビュルギによるものか

一部にビュルギが対数の発見者であるという説がありますが、答えは否です。

スイスのヨブスト・ビュルギ(Jobst Burgi, 1552-1632)が1620年に「算術的および幾何学的級数表、ならびにこれをあらゆる計算において有効に使用し、かつ理解すべきかについての根本的指南」で対数について述べています。しかし、ビュルギもまた、対数の発見の後すぐに発表したわけではなく、長い間対数の構想を練っており、ネイピアの対数の発表である1614年より前からビュルギが対数の研究をしていたことは事実のようです。これは、ケプラーの法則で有名なケプラーが語っているもので、ケプラーはビュルギによる対数発見説を主張していました。

しかし、ビュルギが初めての対数の発見者であるというのは誤りです。このことは、ビュルギの経歴から分かります。ビュルギは1603年に皇帝ルドルフ二世によってプラーグ市に招かれ、天文学の研究を始めました。この期間にシュチーフェルの対数の概念を知り、対数の研究を始めたというのがビュルギの対数との出会いです。

したがって、ビュルギが対数の理論を発見したとすれば1603年以降となりますが、ネイピアはそれよりも10年近くも前の1594年にブラーヘに対して対数の構想を話していますから、対数の発見はビュルギによるものではなく、ネイピアによるものということになります。

常用対数の発見と数表の完成

対数が発見されただけでは、実際に計算を簡略化することはできません。我々は10進法を利用していますので、10を底とした対数(常用対数)が発見されること、そして10を底とした対数の対数表の完成が必要です。

常用対数の考案、常用対数表の作成は、ヘンリー・ブリッグス(Henry Briggs, 1556-1630)によると言われています。ブリッグスはグレシャム大学で幾何学と天文学の研究をしていました。ブリッグスは、1614年のネイピアによる対数の発表を知り、ネイピアから対数を教わりました。その後、1619年に、現在私たちが常用対数と読んでいる底が10の対数を考え出したといわれています。

常用対数の重要性を感じていたブリッグスは、1924年、20,000までの数の14桁の対数と、90,000~100,000までの対数を記した対数表を発表しました。

1628年、ブリッグスの対数表で抜けていた20,000~90,000の対数表を、オランダのアドリアン・ブラックが完成させました。ただ、ブラックの対数表は10桁のものでしたが、実際に利用するには十分な桁数でした。ブラックによって対数表の全てが完成し、これで対数表の恩恵を受けられるようになったのです。

現在、私たちは関数電卓やコンピューターを利用することができるので、掛け算や累乗の計算を簡単に行うことができます。しかし電卓やコンピューターがなかった時代には掛け算・割り算は大変な計算であったでしょうし、さらにabといった計算は不可能に近かったでしょう。対数表の完成は膨大な計算を必要とする学者たちにとってとても役に立つものだったのです。

参考文献

計算尺の発達史については、「計算尺発達史, 宮崎治助, オーム社, 1956」に大変詳しく書かれています。私はこの本を「東京都立中央図書館」で見つけました。この図書館では閉庫に入っていました。

このページは「計算尺発達史」を読んで得た知識を基に、独自の文章で書き表したものです。